選挙になれば、大抵の場合候補に上がるであろう政策の一つ。それが節税。
この政策を聞くたびに、私の中は疑問で埋め尽くされます。
端的に言うと、「節税」という夢を語られても抽象的すぎる。具体的にどうしたいのかがあまり見えてこない。という点に尽きます。
節税の対価として何を想定しているのか
まず、我々は何のために税金を収めるのかといえば、「公共サービスの対価」のためです。 つまり、税金である収入と、その支出である公共サービスは両輪の関係にあると言えます。
よって、節税するということは国の収入の減少に繋がります。 さて、その対価は何なのでしょうか?これが、大抵の場合全く示されないため、「その節税は果たして問題のない政策なのだろうか?」ということが全然わかりません。
公共サービスを削減するのか。あるいは国債の発行で補填するのか。実は節税する余地があるので、他に何もしなくても実現するのか。 有り体に言えば、バランスシートの左側だけ見て右側は気にしないというような、ちぐはぐさをそこに感じます。
民主主義の話し合いの中では多種多様な意見の折り合いをつけて妥協の案が最終的に選ばれるのだとすると、そもそも示した像など仮初のものに過ぎず、その当たる確率も低い。 だから、議員や政党の公約においては、コミットするという意思表示をすることが妥当なのだ。 実際の細かいところは、財務省に務める公務員が案を考えるのだ、と言われれば、まあたしかにな…とならなくもないです。 しかしながら、だとしてもある程度の目安は出してほしいものです。 対象は誰で、いつからいつまで、どの税を、どれくらい下げるのか。そのような話の具体性がないと、正直言って評価も難しいです。
極端な話、「じゃあ節税の分だけ社会保障制度を明日から終了させますので、よろしくw」というような歳出の削減案となったら誰もが困ってしまうでしょう。
確かに節税は、それだけ見れば金銭的余裕の創出に繋がりますから、魅力的でしょう。 しかし、無からお金が生まれない(将来の返済を想定しない人が行う国債発行であれば、無に近いかもしれない)以上、そのツケは巡り巡ってどこかに生じるはずです。 それは一体何なのか。我々は、何を代償に税金を安くすることができるのか。 それを語らずして節税だけを語るというのは、ビジョン不足であり、片手落ちの感がどうしても否めません。
会社であれば、そのようなやりたいことだけ並べても、「熱意はわかったよ。で、具体的にどうするの?」と言われるだけではないでしょうか。
私には、票を獲得するために、とりあえずマス層が好みそうな節税という餌をちらつかせているようにしか思えません。 いや、いくら民主主義が少数派の意見も尊重すべきであるとはいえ、少なくとも議員や政党にとっては当選しないことには話が始まりませんから、なるべく多くの人間が好みそうな公約を掲げるのは合理的です。 それに、こう書いた時点で私は少数派なのかもしれません。 そう思えば、議員が国民の代弁者という立場であることを思えば、この現象は当然なのかもしれません。
しかし、我々とて、誰も税金を払わないところに国のサービスを生むのは、資源の豊富なレンティア国家でもあるまいし、中々難しいというのは想像に難くなく、ある程度の税負担は仕方ないというのは皆内々ではわかっているでしょう。 また、公約をあまりにも守らなければ、それは将来の自身の信用度の低下、ひいては議席を失うことに繋がりかねないでしょう。 そのため、議席を獲得するための「ええかっこしい」な政策と、現実的に議会で実現することができる=後から評価されるときに参照される政策との微妙なバランスが求められるのでしょう。
その拮抗を念頭に置いたうえで、もう少し現実的なイメージというのを市民に提示してもら得ないのだろうかと思います。 そうすれば、我々だってやろうとしていることをより理解できるし、議員だって後から評価されるときの政策との差が縮まるのですから悪い話ではないように思います。
どちらかというと、市井の人間が想定しているのは、「日々の生活に困窮する我々には節税してほしい」「その分は"お金持ちの誰か"に負担させたい」という税負担のバランスの変更ではないでしょうか。 トータルでの税収入が変わらないのであれば(直近は)問題がないわけですから、国としてもまだ受け入れやすいのだと思います。 しかしながら、不利益を被る人がどこかにいるわけで、蓋を開けてみてから「はいあなたは増税側の人です」とならぬように、事前に誰を下げて誰を上げるのか。そこを示してほしいと思います。
増え続ける社会保障費用との折り合いについて説明しないのか / そもそも今必要なのは増税では?
そのうえで、次に疑問が湧くのは、「いやそもそも節税する余地ある?」ということです。
今の国の財政の支出の大半は何かと問われれば、それはもう40兆、歳出の4割近くを占める社会保障費用でしょう。 もし節税が税収入の減少を意図する政策なのであれば、この巨大化する歳出への対策について触れるのを避けるわけにはいかないでしょう。
しかしながら、この間の選挙戦では、あまり「社会保障費用の増大に対してはこのような対策をします」というメッセージは強くは語られませんでした。 私からすれば不可分なテーマのように思えるので、ここにかなりの違和感がありました。
何なら、私としては増税の方がすっと理解できるくらいです。 本来ならば増税を検討すべき段階にあるようなところ、節税を行うとなると、負担を将来世代へ転嫁しているように思えてなりません。 そのような場当たり的な対応を続けて、問題を先送りにするのは、あまり誠実な態度と私には思えません。 それよりは、10年後、20年後を見据えて、今山積する課題にここでけりをつける。 そのような態度を取っていただいたほうが、国の運営に対して真摯に向き合っているようにどうしても感じられます。 まあ、これは私の雑な現状認識が間違っているのかもしれませんが…。
話は戻り、今、自民党の政権公約を見たところ、「全ての世代が安心でき、能力に応じて支える、持続可能な全世代型社会保障を構築します」というめちゃくちゃアバウトなことが書かれていました。 これはとても評価しづらい。 有り体に言えば、現行制度もその持続可能性を前提として制度運営されている以上、主観的には構築されていると言えなくもないでしょう(「安心」という極めて主観的なパートは無視した)。
そもそも実現可能なのかもよく分からない夢を語られても、それは飲み屋でなんかうっさく語る若者と同列にしか思えません。
「持続可能」に実現できる制度とは結局どの程度のサービスの提供だと思っているのか。 蓋を開けてみたら「ほぼ社会保険はありません」だったら困ってしまうでしょう。 このあたりのことをもう少し説明してほしいなというのが、率直な感想でした。
それで言うと、例えば財務省の以下の資料などは見ていてわかりやすいなと思います*1。 例えば、p.2に列挙されるような問題点を是正するとか。 そういう説明だと、具体的に何をやろうとしているか、それが見えてくるので評価がしやすい。
*1:もちろんだが、分かりやすいという資料の出来栄えについての言及は、別にその資料の内容に賛同することを意味しない。分かりやすいということは、分かりやすいということであって、それ以上でもそれ以下でもない。当然すぎるが